Surrealism 1:運動の始まり(第4〜7パラグラフ)

亀の歩みですが、少しでも進めておきます。

      • 以下、訳文

パリに帰還したブルトンはダダの活動に参入すると同時に、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポーらとともに文芸誌「リテラチュール(文学)」を創刊した。彼らはオートマティスム(自動筆記。推敲することなしに、自然発生的な思考を書き取る方法)の実験に取り組み、その結果をあたかも夢の集積のように雑誌に掲載した。ブルトンとスーポーはオートマティスムにより深くのめり込み、後に「磁場」(1920)を発表している。

彼らは書き続けることによって、新たな作家・芸術家を呼び寄せた。彼らにとってオートマティスムは、当時の支配的価値観に対抗するダダの攻勢よりも、より効果的な戦術のように思われた。グループは次第に大きくなり、ポール・エリュアール、バンジャマン・ペレ、ルネ・クレヴェル、ロベール・デスノス、ジャック・バロン、マックス・モリーズ、ピエール・ナヴィル、ロジェ・ヴィトラック、ガラ・エリュアール、マックス・エルンストサルヴァドール・ダリマン・レイハンス・アルプ、ジョルジュ・マルキーヌ、ミシェル・レリス、ジョルジュ・ランブール、アントナン・アルトーレイモン・クノーアンドレ・マッソン、ジョアン・ミロマルセル・デュシャンジャック・プレヴェールイヴ・タンギーらが加入した。

その思想が発展していくにつれ、彼らはシュルレアリスムは一般的で認知可能な表現であることが不可欠であるが、その配置についてはヘーゲル弁証法によって、想像力に向けて全面的に開かれていなければならないと主張する。彼らはまた、マルクス主義ヴァルター・ベンヤミン、ヘルベルト・マルクーゼらの思想にも目を向けた。

自由連想法夢分析、無意識といったフロイトの業績は、シュルレアリストたちにとっては想像力を解放する方法を発展させるにあたって最も重要な位置を占めていた。後にダリが語るように、彼らは根本的な狂気は拒否しながら、その特性は受け入れようとしたのである。「狂人と私の間にはたった一つの違いしかない。それは私が狂っていないということだ。」(※要出典)と。

      • 訳文終わり

ダリの(有名ですが)コメントの出典が不明です。注釈では「天才の日記」とあるのですが、邦訳があるのか、また邦訳があるのであれば、どのような表記になっているのかご存知の方は情報提供いただければ幸いです。
全体的に人物名がやたら多いですね。この辺りは最終的な編集作業のなかで落としていけばいいと思います。