Surrealism:1.1 「シュルレアリスム宣言」(1924・第一宣言)

いよいよ第一宣言ですが、ちょっとあっけないですね。これはもう少し肉付けする必要があるように感じます。もう少し抜き出したり、1929年版のテキストとの違いなども触れられると面白いでしょうか。あとはブルトンにおける「理性」の取り扱いの問題ですね。

      • 以下、訳文

1.1 「シュルレアリスム宣言」(1924・第一宣言)

ブルトン1924年に発表した「シュルレアリスム宣言」において、グループの目的を明確にした。このなかでブルトンは、オートマティスムに関する議論やその他の試みを例に、シュルレアリスムの影響力を引き合いに出す。そこでは、シュルレアリスムは次のように定義される。

シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく(※1)、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。

百科辞典。(哲)。シュルレアリスムは、それまでおろそかにされてきたある種の連想形式のすぐれた現実性や、夢の全能や、思考の無私無欲な活動などへの信頼に基礎をおく。他のあらゆる心のメカニズムを決定的に破産させ、人生の主要な諸問題の解決においてそれらにとってかわることをめざす。(※2)

      • 訳文終わり

(※1)ここが「宣言」をわかりにくくしている要因ではあります。これ以前の箇所で「理性の監督下においてやることが、なによりの得策である」としており、この定義では「理性によって行使されるどんな統制もなく」としている。巌谷國士氏は、前者の表現をもってシュルレアリスムを「非理性主義あるいは非合理主義ではない」(※2註)として、絶対的合理主義に打ち勝とうとする運動だとしています。「宣言」の他の箇所やブルトンの後年のテキスト、バタイユなどの反論、また他の研究者の論文等を読み込むことによって、この部分については一定の結論は得ることができるとは思いますので、ここでは態度を保留することにします。

(※2)アンドレ・ブルトン著・巌谷國士訳(1992)『シュルレアリスム宣言 溶ける魚』(岩波文庫