Surrealism:1 運動のはじまり(第1〜3パラグラフ)

取り敢えず、悩むことなく翻訳作業を進めていこうと思います。
おかしなところも多々あろうかと思いますが、皆様からご叱咤いただきながら、解消していければと思います。

      • 以下、訳文

1 運動のはじまり

シュルレアリスト」(*要確認)という言葉は、フランスの詩人ギヨーム・アポリネールが、自らの戯曲「テイレジアスの乳房」(1903年作、1917年初演)において用いたのを嚆矢とする。

第一次世界大戦の脅威はパリを拠点とする作家や芸術家を放逐し、大戦の間、その多くはダダの活動に巻き込まれていった。彼らは過度な合理主義やブルジョア的価値観が世界規模の戦争をもたらしたと信じていたのだ。ダダの活動家たちは反芸術的な集会やパフォーマンス、著述や作品をもってこれに抵抗した。戦後、彼らがパリに舞い戻ったときにも、ダダはいまだ進行形の活動であった。

医学・精神医学を学んでいたブルトンは、大戦の間、神経科医療機関で戦争神経症に苦しむ兵士たちに対し、ジークムント・フロイトによる精神分析の手法をもって治療に臨んでいた。その際に若き作家であるジャック・ヴァシェと出会っているが、ブルトンはヴァシェこそ、作家で形而「超」学の始祖たる、アルフレッド・ジャリの精神的後継者であると感じていた。ブルトンは後に「文学において常に私が惹かれたのは、ランボー、ジャリ、アポリネール、ヌーヴォー、ロートレアモンであったが、ジャック・ヴァシェにはその最大のものを負っている。」(*要出典)と述べている。

      • 訳文終わり

ブルトンのヴァシェに関するコメントの出典が不明です。ヴァシェ自身謎の多い人物ですが、「シュルレアリスム宣言」にも名前が登場するほど、ブルトンにとっては影響が大きかった人物のようです(フロイトにとってのフリースのような…とは言い過ぎでしょうか)。どなたかご知見ありましたらご教示いただけますと幸いです。